2015年7月25日土曜日

防護巡洋艦「笠置」と「千歳」の相違点

防護巡洋艦「笠置」及び「千歳」は要目はほぼ同一のものとして建造されましたが、全く同一の設計ではなく、種々の相違点があります。

それでも姿が似ているためか、当時の絵葉書には「笠置」を誤って「千歳」としているものがあります。
【誤って「千歳」とされた「笠置」の絵葉書(時期不明、明治38年以降)】

【「千歳」の絵葉書】

【「千歳」の絵葉書(1907年訪英時)】


今回は2艦の主な相違点をまとめてみました。

(1)艦の長さ
 「笠置」より「千歳」の方が約1メートル長い。
 全長 笠置:122.48 メートル、千歳:123.50 メートル

 詳細は下の過去の記事を参照ください

  「防護巡洋艦「笠置」と「千歳」の調査記録(1)図面と長さの疑問


(2)艦首の菊の紋章の位置
  「笠置」では艦首の両側面にあり、「千歳」では艦首正面にあります。
【「笠置」艦首、菊の紋章の位置(矢印部分)】

【「千歳」艦首、菊の紋章の位置(矢印部分)


(3)艦首舷側の砲のスポンソン及びその周辺の形状
 「笠置」の場合、舷側砲のスポンソンが上甲板まで続いていて、上甲板のその箇所が外に出っ張っています。一方、「千歳」では上甲板がスポンソンを覆う形となり、その箇所は出っ張ってはいません。(黄色楕円部)

 また、「笠置」の艦首舷側は概してスッキリした簡単な面の組み合わせとなっていますが、「千歳」では複雑な形状になっています。

 一例として、下の画像の「笠置」のスポンソンの前端部分(青の楕円部)は、船体外板と滑らかにつながっていますが、「千歳」の場合、青の楕円部に小さな三角形のほぼ水平な面があります(平賀デジタルアーカイブ収蔵の図面に描かれています)
 


【「笠置」右舷艦首】



【「千歳」左舷艦首】


(4)前部艦橋操舵室の前面の窓の数
 「笠置」では3つ、「千歳」では4つです。


【「笠置」の前艦橋】




【「千歳」の前艦橋海図室 操舵室、前面の窓が四つ】


(5)中央部舷側の砲門の形状
 「笠置」では砲門の部分に丸みがありますが、「千歳」では丸みがありません。
【「笠置」中部右舷の砲門、角が丸くなっています】



【「千歳」中部左舷の砲門、角ばっています】


(6)煙突の形状
  「笠置」の場合は煙突の側面が平面ですが、「千歳」は平面の部分がなく、曲面で構成
されています。
【「笠置」と「千歳」の煙突断面の形状(大雑把な図です)】




【「笠置」の煙突塗り替えの光景、矢印部の形から、
煙突の側部が平たくなっているのが判ります。
(「軍艦笠置練習航海記念」帖より)】


  「笠置」の鮮明な画像については以下のウィキべディアの写真をご参照ください。

    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Kasagi_1898_in_UK.jpg



【「千歳」の煙突、矢印部のジャッキステイが曲線を描いていて
直線部分が無いことから、煙突の側部が平面ではないことがわかります。
(「軍艦千歳練習航海記念帖」より)】



【「千歳」の煙突、矢印部のジャッキステイがいずれも曲線を描いていて
直線部分が無いことから、煙突の側部が平面ではないことがわかります。
(「軍艦千歳練習航海記念帖」より)】

他にも「笠置」と「千歳」の姿で相違する箇所は多くあります。




2014年5月17日土曜日

『浅間』の絵葉書

『笠置』の絵葉書と同じ時に入手した『浅間』の絵葉書です。
登舷礼がなされ、礼砲が発射されています。そしてメインマストに翻っている旗は「星条旗」のように見えます。とすると、明治41年にアメリカ艦隊が来航したときのものでしょうか?

【『浅間』の絵葉書】

【メインマストに翻る旗】

2014年1月3日金曜日

笠置の絵葉書(中部)

前記事の続きで、笠置の中部の拡大です。
拡張されたスポンソンと、ディンギーの代わりに備え付けられた通船が見えます。


2014年1月2日木曜日

笠置の絵葉書(後部)

昨年(2013年)末、古書店で笠置の絵葉書を入手しました。日本海海戦当時のものではなく、後のものです。

【笠置の絵葉書】

【後部の拡大】
後部を拡大すると、明治38年の初めまでに追加された、後甲板の8インチ砲甲板の張り出し部分が見えます。この絵葉書では(工事が認可された際に指示されたように)畳み込まれた状態です。


【明治37年12月2日付の、笠置の工事を認可する文書(*1)】

この文書では、舷側の12センチ砲のスポンソンを拡張する工事と、後部8インチ砲の甲板に張り出しを設ける工事が認許されています。また、8インチ砲の甲板の「張り出し」については、「出来得れば平常舷側に畳み込み置き得べき装置になすべし」と指示されています。 絵葉書からは、この指示の通りに「張り出し」が取り付けられたことが判ります。

この他に、無線用の四条線が3組、展張されています。また、後艦橋を支える柱に陸戦隊が用いる砲架の車輪が固定されているようです。

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出典:
*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091539600、明治37年 公文備考 巻6艦船3(防衛省防衛研究所)」41,42コマ目。


2013年8月24日土曜日

USS OREGON の絵葉書

あるサイト(ブログ?)で、オレゴンの模型を作ろうとされている方がいらっしゃいました。あの時代の艦船の模型が好きな方々の参考になればと思い、USS OREGONの絵葉書を貼っておきます。





2013年7月24日水曜日

1905年の防護巡洋艦「笠置」の姿

 軍艦というものは、必要に応じて改装されて姿が変わっていきますが、「笠置」もいろいろな改装を受けて姿が変わって行きました。

JACAR(アジア歴史資料センター)でざっと検索してみますと、竣工(1898年、明治31年)してから日本海海戦(1905年、明治38年)までに以下のような変更を受けたようです。

・ディンギーを通船(第三通船)に交換(明治30年に申請、明治33年5月28日に取り換え完了*1)
 竣工時に右舷に搭載されていたディンギーは小さすぎたためか、用途がなかったようです。
 
ディンギーの一例*2


・12センチ砲の砲楯の改造(明治37年1月5日、稟申の資料あり)*3


・12センチ側砲のスポンソン改造
 (石炭船を横付けする際に12センチ砲を目一杯後方に向けようとすると、スポンソンの壁に砲盾が当たってしまい、望む角度まで砲を旋回できませんでした。これでは砲身が石炭船に当たって破損する恐れがあり、砲を取り外すこともありました。これでは不便なので、スポンソンを切り広げて、横付けした船に当たらないようになるまで、砲を後方に旋回できるようにしました)
改造後のスポンソン。矢印が拡張された部分。

ただし、1905年の初めまでに両舷のスポンソンを改装したのか、片舷だけを改装したのか判断に迷う資料があります


・後部の8インチ砲の装填用の張り出しを新設。
 (後部甲板の幅が狭いため、8インチ砲を真横から前方に向けた場合は、砲の後ろで装填を行う余地がありませんでした。このため、一発撃つたびに砲を中央よりに戻して、装填した後に砲を向け直す必要がありました。この不便を解消するために、両舷に張りだしを設けて砲が真横から前方を向いた状態でも装填できる場所を設けました)
笠置(撮影時期は不明)

上の画像の艦尾部分。矢印の先に張りだしが設けられて、舷側に影を落としています。



・補助ボイラー(恐らく後部煙突の根元の直前にあるもの)と付属具を陸揚げ
 (力量が不足して用途がなかったため)*4


・臨戦準備として、ボイラー室に通じる通風筒の雁首を陸揚げし、代わりに鉄棒を骨にして、帆布を使って仮製した風入口を取り付け。*4

☆ ☆ ☆
以上の変更の他に、ヤードの位置変更、前後のファイティング・トップの取り外し、それにともなう軽砲の位置変更などが 1905年(明治38年)の日本海海戦以前に行われています(細かい改装はもっとあると思います)。

他に日本海海戦直前に姿が変わった部分がありますが、それについては記事を改めます。

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*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10126999000、明治33年 公文雑輯 巻5 艦船2止(防衛省防衛研究所)」#25コマ目

*2:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06090982700、明治26年 公文備考 艦船下巻4(防衛省防衛研究所)」8コマ目より

*3:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091547000、明治37年 公文備考 巻10兵器1(防衛省防衛研究所)」 29コマ目

*4:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09020083400、明治37~38年 戦時書類 巻46 艦船修理1(防衛省防衛研究所)」 


2013年5月3日金曜日

防護巡洋艦「笠置」と「千歳」の調査記録(1)図面と長さの疑問

旧日本海軍の防護巡洋艦「笠置」とその姉妹艦「千歳」について調べたことのまとめです。

図面等の資料の所在

「笠置」について
 ・大和ミュージアムの収蔵資料
 造船所による初期の図面およびボイラー入替後の図面など、いくつかの時期の平面図、舷外側面図、船内側面図、線図等があり、資料室での閲覧や複写の申請が可能です。

 ・「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091471400、明治36年 公文備考 巻14艦船3(防衛省防衛研究所)」
 明治36年の坐礁事故の損害を示す資料として、船体の見取り図があります。船体の外板のつなぎ目が描かれていますので、フルハルの模型を作りたい方の参考になると思います。

 ・「平賀 譲デジタルアーカイブ」( http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hiraga/ )
(http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hiraga2/)
 中央横断面図が収録されています。検索する場合は、検索条件の「標題」の欄に「 笠置 」を入力するとよいです。(2013年5月7日追加)


「千歳」について
 「平賀 譲デジタルアーカイブ」( http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hiraga/ )
(http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hiraga2/)
 二等巡洋艦側面図、中央横断面図、軍艦上面図などの表題で収録されています。検索する場合は、検索条件の「カード目録」の欄に「 千歳 」を入力するとよいです。一部の図面では艦名を示した部分が切り取られていますが、その図面の上部中央に“SECOND CLASS UNARMORED PROTECTED CURUISER IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT”, "UNION IRON WORKS, SAN FRANCISCO" 等の文字がありますので「千歳」だとわかります。


長さの疑問:「笠置」と「千歳」の長さは? そしてどちらが長い?
 wikiの他にいくつかの記事を読んで「長さ」の数値に疑問を感じました。下の例のように、垂線間長では「千歳」の方が長いのに、全長では逆に「笠置」の方が長いという数値の組み合わせとなっていたからです。

--(ネットで見かけた笠置と千歳の長さの一例)---
 笠置 垂線間長 114.1m ; 全長 121.47m ?
 千歳 垂線間長 114.9m ; 全長 120.4m ?
---

他に「千歳」の全長が「笠置」より短いということを書いているブログもありました。そこでは図面を調査した結果として「千歳」のどの部分が短いのかまで明記してありました。しかし、本当にその通りでしょうか?

 手元の資料を調べてみると資料によって数値がバラバラでした(*0)。資料の信頼性と、図面での比較の結果からは、以下の値が妥当と考えます。

 垂線間長
  笠置 374フィート = 114.00 メートル(*1)、もしくは 374フィート6インチ = 114.15 メートル(*2)
  (2013/10/21 追記。設計時の線図では「374フィート6インチ」でした)
  千歳 377フィート1インチ = 114.94 メートル(*2)

 全長
  笠置 401フィート10インチ = 122.48 メートル(*3)
  2013年12月4日追記:設計時の線図でも 401フィート10インチでした。
  千歳 405フィート = 123.44 メートル(*4)、もしくは405フィート2インチ = 123.50 メートル(*5,6)。

 水線長
  笠置 約393フィート = 約119.8メートル (*7)
  千歳 396フィート = 120.70 メートル(*6)

上の理由
 もし「千歳」が垂線間長では「笠置」より長く、逆に全長では短いと仮定すると、垂線間長と全長の差分である「千歳」の衝角や艦尾(舵の軸より後方)の部分は「笠置」のその部分よりも目立って(上述の例なら合計で約1.9メートル)短いはずです。しかし、図面の上では両方の艦の衝角や艦尾の形状・大きさは似通っていて、「千歳」の衝角や艦尾が「笠置」のそれよりも短いようには全く見えません。

「千歳」の場合、垂線間長=114.94m, 全長=約123.50m の組み合わせならば、下の図のように図面の船体の輪郭に合致しますが、全長=120.4m と仮定すると、艦尾をかなり切り詰める形(点線部分)となり、図面とはかけ離れた姿になってしまいます。
【「千歳」の長さの「数値」を図面上で比較した様子】

 同様に、「笠置」の場合も垂線間長=114.00 or 114.15mに対して全長=122.48m であれば図面に合致しますが、全長=121.47m と仮定すると、図面上では艦尾を1フレーム・スペースくらい切り詰めた形になってしまい、図面に合いません。

 このように、図面上で矛盾しない垂線間長と全長の組み合わせを探すと上記のようになりました。「笠置」の垂線間長や「千歳」の全長として2つの数値を並記しているのは、図面の折れや撮影による歪みのために2つの数値の差を明確に識別できないためです(精密に判断するためには図面の折れや歪みを補正する必要がありますが、私の手元にある資料では無理です)。

結論として以下のことが言えます。
 ・「笠置」の全長は122.48 メートルで、ネットで見かける値(121.47メートル)よりも約1メートル長かった。
 ・「千歳」の全長は123.44 メートル(または123.50メートル)で、笠置」よりも約1メートル長かった。

※2013年5月22日追記;
 なお、千歳が笠置より長いのは船体の胴というか中央の部分です。艦首の衝角部分(水中での突き出し)や艦尾部分(艦底がベースラインから立ち上がる部分より後)の長さは両方の艦ともほぼ同じです(図面を比べてみれば明らかなことですが)。

☆ ☆ ☆
 ネットにある「笠置の全長=121.47m」がなぜそうなったかは判りません。
また、ネット上の「千歳の全長=120.4m」については、下の *8 で示すように、ミスタイプに加えて水線長の値を全長と勘違いした可能性があります。

 他にも、なぜその数値になっているのか理解できない資料もありました。模型を製作する方なら図面も調査しますからこうした数値の矛盾に気づくと思いますが、そうではない方にとってはさして重要でない数字なのか、いろいろな情報が広まるものですね。

「笠置」には興味深いエピソードがありましたので、次回以降の記事でまとめたいと思います。

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*0 wiki、「日本海軍全艦艇史」、「日本軍艦史」、「世界の艦船」なども調べましたが、ここでは割愛しています。

*1  The New York Times , July 10,1898, "KASAGI FASTEST OF  HER CLASS." (Length , 374 feetとしか書かれていませんが、垂線間長のことと解釈しました)

*2  軍艦機関計画一班。資料の信頼性としてはこれが第一かと思います。

*3 通俗教育・海軍写真帖
【笠置の諸元。全長が401フィート10インチ

*4 通俗教育・海軍写真帖
【千歳の諸元。全長が405フィート。笠置より長い。

*5 Overland Monthly , An Illustrated Magazine of the West Volume XL., July - December 1902
【Overland Monthly。この資料では千歳の全長は405フィート2インチ

*6 THE RECORD UNION(新聞) 17,662号、1898年1月23日発行より。"Length over all, 405 feet 2 inches; length, load water line, 396 feet "

*7 図面から推定

*8 ある絵葉書(笠置の絵になぜか"CHITOSE" と注釈がついたもの)の表記では "Length, 395 feet"となっています。(例えば、下記のリンク先(絵葉書販売サイト)で絵葉書の [BACK] をクリックして拡大してみてください)

http://www.cardcow.com/398416/japanese-cruiser-chitose-transportation-boats-ships/

憶測ですが、この 395 という数字は *6 の「千歳」の length, load water line, 396 feet のミスタイプかもしれません。そして 395フィート(120.4 メートル)が全長と誤解されていくつかのサイトに掲載されたのではないでしょうか?